2005年03月08日

南京大虐殺って何の事ですか?

南京事件「証拠写真」を検証する
東中野 修道

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2ちゃんねるでよみうりテレビの「たかじんのそこまで言って委員会」という番組が話題になっていた。内容は、南京大虐殺はあったのか無かったのかを議論するというもの。個人的にすごく気になったので実際に見てみた。

南京大虐殺とは、日中戦争初期の1937年(昭和12年)に日本軍が中華民国の首都 南京市を占領した際、約2ヶ月にわたって虐殺・暴行・掠奪・強姦・放火など行い、30万人もの中国軍捕虜、敗残兵、便衣兵及び一般市民を不法に虐殺したとされる事件。

では、何で2ちゃんねるで話題になっていたかというと、パネラーの一人で「南京大虐殺」肯定派の反日外国人デーブ・スペクターが、南京事件の証拠写真を全てニセモノと鑑定した大学教授の主張に負けてしまい、事件が「なかった」と認めてしまったからだった。俺もデーブが渋々認める様子を見て大笑いした。

俺も南京大虐殺なんて中国共産党の荒唐無稽なでっち上げだと思っている。虐殺を否定できる根拠が幾つもあるからだ。
まず、南京事件での被害者は30万人とされているが、陥落時の南京市の人口は20万人であり、どう考えても30万を殺す事は不可能なのだ。そればかりか、侵攻の一ヶ月後には人口が5万人も増えて25万人になっている。郊外に避難していた民衆が帰ってきたのだ。日本軍による虐殺・暴行・掠奪・強姦・放火などの凶行が行われている真っ最中の南京市内に大勢の民衆がノコノコ帰ってきた事になる。

また、前述のデーブを打ち負かした東中野修道教授の著書である「南京事件「証拠写真」を検証する」でも既に証明されているが、南京大虐殺の証拠とされる143枚もの証拠写真の殆どが中国国民党による抗日宣伝用プロパガンダ写真だった。要は日本軍を悪魔扱いする為に作られた巧妙なニセモノ写真なのだ。また、被害者が30万人もいるというのに、その死体が写った写真もまだ発見されていない。

現在、南京市には南京大虐殺記念館なる歴史博物館が建っている。犠牲者数をあらわした「300000」のモニュメントが建っており、館内には多数の“証拠写真”や残虐な日本兵による生々しい虐殺風景をリアルな人形で再現し、展示している。
最近は中国政府が入場料の全額補助を行っており、無料で入館できるそうで、多数の見学者が訪れているそうな。

また、南京市政府は同記念館をユネスコの世界文化遺産に登録すべきと主張し、既に登録された「アウシュビッツ強制収容所」と「広島の原爆ドーム」と同じく南京も「世界の人々が歴史を学び、過ちを繰り返さないために大きな意味がある」と強調している。虐殺の証拠にもならない写真を堂々と展示している捏造博物館を...だ。

中国共産党は、民衆の政府に対する不満をそらす為に反日・愛国教育を今でも行っている。重慶で行われたサッカーアジア杯での反日感情の激しさを見れば反日教育の成果がハッキリわかる。
最近では農村の民衆が地方政府腐敗への不満から抗議デモが盛んになっている。反日教育でも押さえきれなくなっているんだね。

最近では被害者は30万人ではなく数百万人であると主張する輩も出て来ている。これは、中国の悪い癖で、白髪三千丈という中国人の誇張癖の現れなのだ。最初の30万人って数字もデタラメなんだろう。

南京大虐殺で日本批判に必死な中国。でもね、「改革解放」の名のもと「民族浄化」として中国政府はチベットで120万人もの民衆を残虐な方法で虐殺しているんです。文化大革命では数百万人~2000万人もの犠牲者が出ているの。天安門事件では戦車で民衆を轢き殺すんだよ。皆さんも朝日新聞やテレビ朝日などの反日メディアに惑わされないでください。本当の悪魔は中国共産党なのです。

動画ファイルは以下より入手可能
たかじんのそこまで言って委員会 [形式:WMV サイズ:27.8MB]
ミラーサイト

///参考リンク///
南京大虐殺はウソだ!
南京大虐殺記念館視察
南京大虐殺 - Wikipedia
ダライ・ラマ法王事務所日本代表部事務所

投稿者 RYU : 2005年03月08日 06:00 | 人気blogランキング | del.icio.us このエントリーを含むはてなブックマーク Technorati BlogPeople Tags

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コメント

トラックバックありがとうございます。

私もこの番組を見ましたよ。
いや~痛快でした。
やはり嘘はすぐにばれるものなんですね。

投稿者 asatte_no_houkou : 2005年03月08日 20:13

>asatte_no_houkou

いえいえ、こちらこそコメントまで頂いて...

何度見返してもマジで笑えます。
大きなウソついといて、ひくに引けない状態の中国が哀れです。

投稿者 RYU : 2005年03月11日 03:37

>このあたりから野田、向井両少尉の百人斬りが始るのである。・・・

投稿者 九郎政宗 : 2005年03月11日 03:58

>九郎政宗

コピペの長ぁ〜い書き込みありがとうございます。
システムがコメントスパムと勘違いして掲載保留になっておりました(笑)

あななはあちこちで同じようなカキコしているんですねぇ〜(笑)
検索したら出てくる出てくる。

さて、たかじんの...と、後半の南京大虐殺は別なものだと思ってください。ただ、デーブが認めたのが可笑しかったので書いただけです。

東中野氏の件も承知していますが、少なくとも捏造写真があったのは事実。

俺は南京大虐殺がでっち上げだと心底信じていますので何を言われても考えは変わりませんので(汗)

ここで論議する気もありませんし、あなたを相手にする気もありません。まぁ、頑張って他のサイトさんで反戦運動してくださいね。

投稿者 RYU : 2005年03月11日 04:15

グーグルで「栗原利一」で検索すると南京大虐殺に辿りつきます。
私は栗原利一の息子ですが暫くしたら親父のB4判150ページの手書きの戦闘記録をCD-Rで公開する予定です。
そのとき実名も著作者名として知られることになると思います。

父は小平市剣友会元会長、小平市福島県人会元会長ですから誰でも知っている人です。

日本人はこれから南京大虐殺の真実を知ることになるのです。

投稿者 核心 : 2006年04月15日 21:15

畠中秀夫氏が親父(栗原利一)の証言を真逆に曲げた捏造記事のオリジナル原稿のコピーが見つかったので気が乗らないけど捏造部分を指摘しておきました。
この捏造の面白さは共謀共同正犯として防衛庁も絡んでいる点ですね。

http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=2658;id=sikousakugo#atop

投稿者 核心 : 2006年07月01日 16:44

栗原利弘の人生は悲惨だった。

昭和12年の7月に生まれ、親父は9月には出征し、帰って来たのは昭和15年。
傷痍軍人の姿だったので親父には全くなつかず。

疎開先の福島で育てられたため戦争の悲惨なことを知らず。
学生時代にプレスリーやジェームスディーンを知り、夢中になり、ちょっとした経緯から恋人との仲をさかれ親父に精神病院に強制入院させられ、そのうち本当の精神分裂病になり。

うん悪くお袋の父親も既に死んでしまっていて、親父の弟もレイテ戦でなくなり、親父の長兄に対する虐待を止めることのできる人が誰もいなくて。

なんの希望もなく、恋人に捨てられ(結婚した恋人の家の近くまでは発病後も行ったことがあるみたいだった)少しばかしの小遣いをお袋からもらい、近くをウロウロ歩いて、時々警察につかまり保護されていた。

最後に精神病院で窓枠に紐をかけ、首をつって死んでしまった。

桐朋高校卒業、中央大学法学部法律学科卒業の栗原利弘のお話です。

投稿者 核心 : 2006年07月03日 01:57

この人たちが

http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=2863;id=sikousakugo#2873

このように殺されたのです。

一斉射撃の命令が出たのはそれからまもないときだった。
 半円形にかこんだ重機関銃・軽機関銃・小銃の列が、川岸の捕虜の大集団に対して一挙に集中銃火をあびせる。一斉射撃の轟音と、集団からわきおこる断末魔の叫びとで、長江の川岸は叫喚地獄・阿鼻地獄であった。田中(栗原)さん自身は小銃を撃ちつづけたが、いまなお忘れえない光景は、逃げ場を失った大群衆が最後のあがきを天に求めたためにできた巨大な〝人柱〟である。なぜあんな人柱ができたのか正確な理由はわからないが、おそらく水平撃ちの銃弾が三方から乱射されるのを、地下にはむろんかくれることができず、次々と倒れる人体を足場に、うしろ手にしばられていながらも必死で駆け上り、少しでも弾のこない高い所へと避けようとしたのではないか、と田中(栗原)さんは想像する。そんな〝人柱″が、ドドーツと立っては以朋れるのを三回くらいくりかえしたという。一斉射撃は一時間ほどつづいた。少なくとも立っている者は一人もいなくなった。

投稿者 核心 : 2006年07月25日 22:07